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永訣の夕

2010年08月11日 10:28






“ ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
  わたくしもまつすぐにすすんでいくから ”








先日、僕の七つ年下になる妹が
突如としてこの世を去ってしまいました。




















7月初めに原因不明の激痛で入院し、検査の結果判明した病名は
「急性リンパ性白血病」。
初期の段階で発見された事もあって、
第一段階の抗がん剤治療は負担の大きい、辛いものながらも
効果を示し、寛解を迎えて第二段階に移るという事で
家族一同ホッと胸を撫で下ろしていたのですが。
その、第一段階が終わる間近に突然に意識の混濁が始まって
翌日には昏睡に陥り、
緊急の血液検査で、どこに隠れていたのか抗がん剤から逃げおおせた腫瘍細胞が
爆発的に増殖し、白血球の数値が治療前の水準に戻っている事が判ったものの
連日の抗がん剤投与で既に大きなダメージを受けていた妹の身体は、
これ以上投与を続ければ、致命的な多臓器不全を起こす所まで弱っていて
もう、なす術がないという所まで追い詰められて。
それでも、「早く“ああハラへった”って言って起きてこないかな?」とか
敢えて呑気なことを言って気持ちを奮い立たせては、手を握ったり足をさすったり
呼びかけてみたりしながら父・母・僕の3人で連日連夜見守っていたのですが、
容態が急変してから僅か3日で、帰らぬ人となってしまいました。
夏の遅い夕暮れ時、意識のない妹を囲んで家族4人での団欒のさなかに
その時が訪れたのが、よかったといえばそう言えるのかも知れないけれど
みるみる低下して行く、モニタ上のバイタルサインを見ながら
ただ身体をさすって、呼びかける以外何も出来ないどうしようもなさに
ただただ涙が、後から後から流れていくばかりで。
心が痛みで引き裂かれて、バラバラになりそうで。
そして、両親がこんなにも泣きじゃくる姿を、僕は見た事がなかった。


“神様に愛された人は、他の人よりも早く連れていかれてしまう”とはよく言うけれど
一日違いで兄妹が同時に入院するという嫌なシンクロニシティ、
治療が上手くいくと見せかけて、一気にさらっていってしまうやり口、
これを見ていると、
神様はよほど狙って狙って、妹を狙い撃ちにしたとしか思えない。
愛されてるというより、弄ばれているんじゃないか。
あんまりじゃないか。
天に向けて唾を吐いたところで、自分の顔にかかるだけなのは
判っているけど、そう言いたくもなるじゃないか‥‥


皆が口々に言う事に、兄としても全く同意するのですが
本当に可愛らしい子で。
大体、遺影に使う写真を選ぶというのでアルバムをひっくり返していて
両親と「ここ15年くらい、全然顔変わってないよねー‥‥」と
しみじみ話してしまうくらい。
背丈もそんなに大きくはないし、30代半ばなのに外国なら下手すると
10代で通るんじゃないかとか、
ネタに聞こえそうだけれど本当なんだから仕方ない。
それでいて向こう気はかなり強くて、
良く言えば「一度決めた事はやり抜く意志の強さ」、
悪く言えば「頑固」。
でも、人に対する気遣いはとても細やかで優しくて。
20代は英国で暮らしていた事もあって、家族の誕生日にはいつも
向こう流にバースデーカードを贈ってくれたり、
(いつぞやはプレゼントだって、中古のアナログ盤を
 沢山くれた事があったよな。ザ・ジャム、ニューオーダー、
 ストーン・ローゼズ‥‥)
入院中見舞いに行った時も、抗がん剤の副作用で辛い時なのに
自分の事より俺の事ばかり気にして、気遣ってくれたり。
(看護士さんが「どんなにしんどい時でも、いつも笑顔で迎えてくれた」
 って言ってたっけそういえば。彼女たちも泣いてたぜ‥‥)
いよいよ渡英するという頃、兄妹ふたりで喫茶店に行った時
「私のわがままでイギリス行きを決めてしまって、お父さんお母さんとも
 大分やりあったけれど、私はふたりの事が好きだし
 こうして送り出してくれる事に感謝しているから、私は私でふたりを
 フォローするけれど、お兄ちゃんは日本でふたりをフォローしてあげて」
なんて話す姿に“ああ、この子はこんなに大きくなっていたのか‥‥”と
しみじみ思った事もあったよな。
(話をしていて、どっちが年上でどっちが年下なんだか
 判らなくなる事もよくあったよな‥‥)
こんな子だったから、遠く離れ離れになった事で、家族の結束はむしろ
強くなったような気がしたし、妹が日本に戻ってきてからは本当に、家族一緒に
よく出かけたものだったよ。
アルバムを見ていて、家族4人で写っているものより父・母・妹の3人で
写っているものの方がやや多かったのは、ちょっと妬けたけどね。はは。
明るくて、朗らかで、いつも笑っていて、
溢れんばかりのチャームに誰もが魅かれたというのも、無理からぬ話さ。
それなのに。
3年前のサマーソニックには一緒にいったけれど(アークティック・モンキーズ!)
フジロックフェスティバルにはまだお互い、行った事がなくて
入院前に電話で
「行くよ今年フジロック! でもさ、2日目だけなんだけど
 ヘッドライナーがロキシー・ミュージックなんだって。どうよ?」
なんて話をしたこと。
最近カメラをやり始めてて、妹は一眼レフのデジカメで、俺はトイカメラのHOLGAで
それぞれ撮った写真を見せ合おうか、
なんて話をしたこと。
辛い治療の合間にも「病気が治ったら、パン屋でもはじめてみようかな‥‥」
なんて話をしたこと。
もっと多くの、いろいろなこと。
かなわない夢を置き去りにして、
妹がいなくなってしまった。


お葬式にはびっくりする位の、沢山の人が来てくれて
家族、親戚はもとより友人、会社の同僚(外資系なのでワールドワイドに)、
高校・短大は女子校だったけど、小中学校と同級だったという男の子たち、
そして近所の人たちに至るまで、
皆が涙にくれながら、それでも最高の晴れ姿で送り出すことが
出来たと思うのだけれど。
振袖を着て、花に囲まれて、棺のなかに横たわる妹の
本当に眠っているような、それでいて少し笑っているような
小さな白い顔が、
どうしても頭から離れない。
太く短く、急ぎ足で駆け抜けた人生で
これだけ多くの人に好かれ、愛され、良くして頂いて、
惜しまれながら送られるというのは
幸せなことなのかも知れないけれど、
でも、だからこそ、
生きていて欲しかった。
あなたが今、ここにいないということが
ただただ、哀しい。


お父さんお母さんと僕とあなた。
家族でいられて、本当に嬉しかった。
僕の妹でいてくれて
ありがとう。










長く、重く、しんどく鬱陶しい
話ばかりでしたが
読んでくださって、ありがとうございました。



さいきんのようす


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